展示

貴重書の展示

歯学部の主な貴重書

「ファブリカ」

De humani corporis fabrica libri septem 2nd ed. / Andreas Vesalius

De humani corporis fabrica libri septem 2nd ed. / Andreas Vesalius
Basel, 1555. 824p;45cm    
英語題「On the Fabric of the Human Body」
邦題「ファブリカ」「人体構造論」 など 

ヴェサリウスは,ベルギーの解剖学者,外科医で,いくつかの著作を残しているが,その中で最も重要な書はこの通称「ファブリカ」である。初版は1543年,第2版は1555年に出版され近代解剖学の基礎を築くものとして,その後の医学の発展にはかりしれない貢献をした。
オリジナルタイトルの直訳は「人体の構造についての7つの書」。
内容は,第1巻「骨と軟骨」,第2巻「筋肉と靭帯」,第3巻「静脈と動脈」,第4巻「神経」,第5巻は消化器官,泌尿器科,生殖器官」,第6巻「心臓と呼吸器官」,第7巻「脳と感覚器官」となっている。第1巻と2巻のみで本文全体の半分以上を占める。1~4巻が機能ないし所在によって分けられており系統解剖学的になっている一方で,5~7巻が部位によって分けられており局所解剖的になっている。ここに紹介するファブリカ第2版は増補改訂版として刊行され,本文824ページで,初版より160ページ以上も増えている。図版の数も増え,初版より紙の質なども立派になっている。内容的には,ヴェサリウスが外科医として研鑽を積んだ成果をいかし,初版の訂正や内容の組替えなどを行っている。ファブリカの”完全版”ともいわれている。

展示のようす(2016年)
展示目録
 

「解剖学図譜」

Viscerum, hoc est interiorum corporis humani partium, viva delineatio / Andreas Vesalius

Viscerum, hoc est interiorum corporis humani partium, viva delineatio / Andreas Vesalius
Venice, 1539. 2sheets;57×72cm
別名:「Tabulae anatomicae sex」
邦題:「解剖学図譜」「解剖学六図」 など

ヴェサリウスがパドヴァ大学の教授になった翌年の1539年に出版された「Tabulae anatomicae sex」という名でも知られている。6枚の解剖図からなり門脈,全身の静脈,全身の動脈という3枚の図に,骨格人の図を3枚添えたものである。図はめくることができ,内蔵の位置などを見ることができる。この時代まで,医学のテキストに詳細な図が付くことはまれであったが,学生に対する講義における実際の必要性から生まれたようである。
この図譜は,各地で海賊版が出されたことが物語っているように,出版後非常によく利用された。その証拠として,完全な形で今日まで残っているのが2部しかないことである。読者に好まれて,バラバラになるまで読破されたことを示している。本学部が所蔵するのは,6枚の解剖図のうちの2枚である。

展示のようす(2016年)
展示目録

「歯科外科医あるいは歯科概論」初版

Le chirurgien dentiste, ou traité des dents. tom 1&2 / Pierre Fauchard

Le chirurgien dentiste, ou traité des dents. tom 1&2 /  Pierre Fauchard
Paris,  1728. tom1-456p;17cm.tom2-346p;17cm
邦題:「歯科外科医あるいは歯科概論」「歯科外科医」など

フォシャールはフランスの外科医,歯科医学者。近代歯科医学の父と呼ばれ,歯科臨床医を「歯抜き師」という立場から,独立した職業「歯科医師」へと変貌させたと言われている。この「歯科外科医」は,初の体系的な近代的歯科医学書と言われており,その内容は,現代の歯科医学,歯科医療の内容をほぼ網羅するものとなっている。18歳で開業したフォシャールは,多忙な診療のかたわら,珍しい症例や困難な症例,自ら考案した診療機器や手術の改良法などを30年間に渡り書き記した。フォシャールの本格的な歯科医療は注目を集め,一流の歯科医,外科医として名声を博したが,幾多の先達が経験から知り得た知識や技術が伝承されぬままに失われていくことを惜しみ,啓発と知識の継承をはかるため本書の執筆を開始した。当初から歯科医向けの教科書を意図しており,口腔疾患の具体的な治療法と実技術を書き記した。この書物はフランス語で書かれていたためか,およそ200年の間は国際的に広く知られることはなかったが,1922年にフランスで,翌年にアメリカで刊行200年を記念する式典が開催され世界的に認知されることとなった。

展示のようす(2018年)
展示目録

 

「歯科外科医あるいは歯科概論」第2版

Le chirurgien dentiste, ou traité des dents. ou l’on enseigne les moyens. tome premier & second / Pierre Fauchar

Le chirurgien dentiste, ou traité des dents. ou l'on enseigne les moyens. tome premier & second / Pierre Fauchard
Paris, 1746. tom premier-494p;17cm.tom second-424p;17cm
邦題:「歯科外科医あるいは歯科概論」「歯科外科医」など

初版より18年後に出版された第2版は,「数多くの特異で有益な症例」と「新しい研究成果」が追加された。3章分付け加えられ,ページにして61ページ増えた。歯槽膿漏症(歯周病)に関して最初に記述した歯科医学書である。それまでは1875年にアメリカのRiggsが紹介したとされ,Riggs病と呼ばれていた。後にフォシャールの業績が明らかになるにつれ,Fauchard病として認知された。この原書は,川上為次郎(日本大学専門部歯科,現在の本学部)が,1921年にヨーロッパを旅行しパリ歯科医学校を訪問した折に,校長のD.Chlodenから記念として贈呈されたもので,1978年に日本大学歯学部図書館へ寄贈された。見返しの上隅に”川上博士のパリ市,歯科医学校および校長訪問の心からの想い出として D.Chlodeon 1921年9月30日パリ”というサインがある。

展示のようす(2018年)
展示目録
 

「ビドロー解剖アトラス」

Anatomia humani corporis, centum & quinque tabulis / Govard Bidloo

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Anatomia humani corporis, centum & quinque tabulis / Govard Bidloo
Amsterdam, 1685. 256p;53×37cm
邦題:「ビドローの105図の人体解剖図」「ビドロー解剖アトラス」など

ビドローはオランダの解剖学者,外科学者。この書はヴェサリウスの「ファブリカ」以後,19世紀の解剖学書の出版ラッシュが始まるまでの空白期における最高最大の解剖図譜である。ビドローは当時一介の開業医であったが,ヴェサリウスを崇拝しており,画家の力量が解剖図の成否を左右することを「ファブリカ」に学んでいた。画家Lairesse,版画家Blootelingと共にエッチング技法による銅板を制作し,実物大の写実的な解剖図譜を誕生させた。人体を部位ごとに区分する局所解剖学の様式により局部の表現に焦点をしぼっている。日本最初の西洋医学の翻訳書「解体新書」に,参考図書としての記載は無いものの,この「ビドロー図譜」から4葉の図の模写が掲載されていることが知られている。
 

「人と歯の博物学」

The Natural Histry of the Human Teeth / Johm Hunter

The Natural Histry of the Human Teeth : Explaining Their Structure, Use, Formation, Growth, and Diseases/ Johm Hunter
London : J. Johnson, 1771. 128p ; 27cm

18世紀当時、歯科医療はまだ確立されておらず、抜歯は床屋が行うものだった。砂糖がヨーロッパにもたらされ、広く流通したことにより、虫歯が蔓延し、歯痛は脅威となっていた。
軍医を終えたハンターは、歯科医と組んで歯科医療に取り組んだ。解剖学の知識を生かし、歯科治療のあらゆる面で助言を行い、医学の一分野としての歯科の研究に従事した。ハンターは初の書物「人の歯の博物誌」を1771年と1778年の2回に分けて著した。これは歯科における初の科学文献で、歯とあごに関する解剖学と病理学が解説されている。
ハンターによる歯科医学の緻密な研究により、職業としての歯科の地位は飛躍的に向上したといわれ、近代歯科の父と称されることもある。
ハンターの理解には間違いもあった。乳歯が永久歯に生え変わる時期を見誤っており、また、彼が広めた生体歯牙移植は、貧者から歯を買い取り(引き抜き)、患者の歯に移植するという、今では考えられない治療法であった。
それでも、歯垢の有害性に気付いて歯磨きを励行したり、果物、野菜を食べる効用を説いたり、それぞれの歯に名前を付けたことは、功績として後世に残るものである。

展示のようす(2019年)
展示目録

 

 


【貴重書展示】
歯科医学の父 ピエール・フォシャール展
世界初の歯科医学書 原書を見よう!

(2018年10月)

『歯科外科医あるいは歯科概論』 Le Chirurgien Dentiste ou Traité des Dents 初版(1728年)・第2版(1746年)・独語版(1733年)

世界初の本格的な歯科医学書

18世紀にフランスで発展を遂げた歯科医学は,ピエール・フォシャールと彼が遺した著書「歯科外科医あるいは歯科概論」(以下「歯科外科医」)によるところが大きいと言われています。フォシャールは近代歯科医学の父と呼ばれ,歯科臨床医を当時は大道医者や理髪師に任されていたような「歯抜き師」という立場から,独立した職業「歯科医師」へと変貌させました。

閉鎖的で未だ非科学的であった歯科学を公に開かれた「科学」にすべく,1728年に刊行された「歯科外科医」は,初の近代的歯科医学書と言われており,その内容は,現代の歯科医学,歯科医療の内容をほぼ網羅するものとなっています。20年以上に渡る臨床例を中心に蓄積された研究,臨床技術は,「書物」として遺されることにより,時を越え地域を超えて広がっていくことになります。

この書物はフランス語で書かれていたためか,およそ200年の間は国際的に広く知られることはありませんでしたが,1922年にフランスで,翌年にアメリカで刊行200年を記念する式典が開催され世界的に認知されることとなりました。その模様は,アメリカの学術雑誌「The Dental Cosmos」に詳細に報告され,再評価とその位置づけは確固たるものとなりました。

フランスで行われた刊行200周年式典に日本人として唯一人参加していた中原實(日本歯科医専,現在の日本歯科大学)は「歯科外科医」の原書を携え帰国し,日本に彼の功績を伝えました。同時期に川上為次郎(日本大学専門部歯科,現在の本学部)も同書第2版の原書をパリ歯科医学校から寄贈を受け帰国しており,両者によるフォシャール記念講演会も開催されました。

その後,中原所蔵の「歯科外科医」が紛失したため,川上所蔵の第2版が唯一の原書として,半世紀余りの間,本邦に存在していましたが,1978年に川上家により本学部図書館へ寄贈されました(展示資料②)。1980年代になると貴重書が流通するようになり,国内の所蔵館も増えました(当館所蔵初版本は1983年に入手,展示資料①)。また,1946年に英訳本が,1984年に日本語訳本が刊行され,近年においてもその功績を伝える文献が発表されています。

今回の展示では,「歯科外科医」の初版,第2版,ドイツ語訳本の原書を展示ケースにて公開します。直接手に取ることはできませんが,原書の内容を数ページ撮影しておりPCにて映写します。また,ピエール・フォシャールの関連資料も展示していますので,この機会に歯科学の歴史について思いを馳せていただければと思います。

・・・・・謎1 口絵の肖像画が微妙に違う?・・・・・・

 

初版と第2版は、作者、彫刻者が同一だが微妙に違う。原因は不明。

ドイツ語版は、原著の肖像画の裏刷りを、第3者(G.T. Buschとサインあり)が彫刻したため、原著とは逆の右向きとなっている。

初版

第2版

ドイツ語版

・・・・・謎2 タイトルは正しいのか?・・・・・

 

原著タイトルの直訳は「外科歯科医,あるいはの概論」である。しかし、内容は歯牙から口腔全般、全身に及ぶ臨床を包括したものであり、「の概論」はそぐわない。

(本当は著者がイメージしていたのは)

「外科歯科医、もしくは、歯・歯槽と歯肉の病気の概論」

(ではないだろうか・・・)

詳しくは・・・ 中原泉/ Fauchard書題の謎 https://ci.nii.ac.jp/naid/110007155483


 

・・・・・謎3 見返しの走り書きは何?・・・・・

 

これは謎でもなんでもなく、フランス語で

「川上博士のパリ市、歯科医学校および校長訪問の心からの想い出として D.Chlodon 1921年9月30日パリ」

と書いてある。

詳しくは・・・ 今田見信 / わが国の歯学資料図鑑(9). 歯界展望23(3). 1964

 

・・・・・謎4 歯科外科医か?外科歯科医か?・・・・・

 

“le Chirurgien Dentiste”の日本語訳は現在まで2種類存在する。歯科外科医と外科歯科医。どちらが正しいのだろうか。

「歯科外科医と訳す方がフォシャールの意に沿う」

(のではないだろうか・・・)

詳しくは・・・

高山直秀 / ”le Chirurgien Dentiste”の訳語について. 日本歯科医史学会会誌10(2).1983

https://ci.nii.ac.jp/naid/110007155419

担当:堀米


【貴重書展示】
偉人か悪魔か ジョンハンター展

(2019年10月)

実験医学の父

近代外科学、実験医学の父と称されるジョンハンターは、18世紀イギリスで活躍した外科医、解剖医です。

千体以上の人体解剖を行い、動物との比較検討を行い、各種の治療法の実験を行い、彼の登場により臨床医学は大きな飛躍をとげました。

ハンターは、子供時代は大の勉強嫌いだったものの、兄の解剖助手を務めたことがきっかけで解剖と研究にのめりこみ、外科医としても活躍し名声を得ました。真理を伝播させることに意識を向け、記録を取り続け、思考し、講座を開いて最新成果を教授し、論文を発表していきました。

ハンターは一方で、いわゆる「偉人」とは言い難い側面を持っていました。

ハンターの邸宅は、人でにぎわう華やかな表口と、夜中に得体の知れない積み荷が運ばれる不気味な裏口に分かれていました。彼は「手に入らない死体はない」と豪語するほどに、死体調達ビジネスを確立し、解剖体を仕入れ、切り刻み、標本を作り、研究をしていました。彼のこの側面は、物語『ジキル博士とハイド氏』のモデルとなりました。

当時の常識では、肉体は最後の審判のときによみがえるために不可欠であり、それを損壊させることは、復活を不可能にする、天国へ行けなくなるという冒涜行為でした。多くの富裕層や当の解剖医すら、自分の死後、誰にも解剖されないように生前から手配していたそうです。

当時の一般常識からかけ離れたハンターの探求精神は、その後の科学が到達していく未来を暗示していました。その研究内容は多岐に渡り、外科学、博物学、精神分析、歴史、生理学、発生学、歯科学を含みました。ダーウィンの「種の起源」より70年も前に進化論を見出していたといわれています。

ハンターの真の業績は、「観察して、推論して、実験する」という科学的手法を広めたことにあるといわれています。彼の門下から多くの研究者が誕生し、後世に影響を与えていきました。


ハンターと歯科医学


18世紀当時、歯科医療はまだ確立されておらず、抜歯は床屋が行うものでした。砂糖がヨーロッパにもたらされ、広く流通したことにより、虫歯が蔓延し、歯痛は脅威となっていました。

軍医を終えたハンターは、歯科医と組んで歯科医療に取り組みました。解剖学の知識を生かし、歯科治療のあらゆる面で助言を行い、医学の一分野としての歯科の研究に取り組みました。ハンターは初の書物「人の歯の博物学」を1771年と1778年の2回に分けて著しました。これは歯科における初の科学文献で、歯とあごに関する解剖学と病理学が解説されています。

ハンターの理解には間違いもありました。乳歯が永久歯に生え変わる時期を見誤っており、また、彼が広めた生体歯牙移植は、貧者から歯を買い取り(引き抜き)、患者の歯に移植するという、今では考えられない治療法でした。

それでも、歯垢の有害性に気付いて歯磨きを励行したり、果物、野菜を食べる効用を説いたり、それぞれの歯に名前を付けたことは、功績として後世に残るものです。
 

歯学部所蔵のハンターの貴重な本(展示資料です)
★人の歯の博物学  初版 1771年

オリジナルの英語版がバージョン違いで3冊あり、ラテン・オランダ語版(1773年)、ドイツ語版(1780年)があります。

★人の歯の博物学 、歯科疾患の実際論  第2版 1778年

オリジナルの英語版がバージョン違いで2冊あり、第2版の補遺版である「歯科疾患の実際論」の単行本版とアメリカ合衆国での初版本(1839年)があります。

★ジェームス・パーマー編 /ジョン・ハンターの業績   全4巻+図版 1835-1837年

ハンターの研究成果をまとめたもの。第1巻:ハンターの生涯 第2巻:歯科学・性病 第3巻:外科手術 第4巻:解剖学・博物という構成で、豊富な図版がついており、今回の展示では内容を撮影しPCで映写しています。

★エヴァラード・ホーム /比較解剖学講義 : ハンター博物館のコレクションより 全4巻 1814年

著者のホームは、ハンターの義弟で助手を務めていました。ハンターの死後は、ハンターの未発表論文を盗用、多数の論文を発表し、自らの出世につなげ、証拠を隠すためハンターの資料を焼き捨てたとされています。

風刺画「歯の移植」トマス・ローランドソン作

当世風の身なりをした医者が、ぼろを着た煙突掃除夫の歯を抜いている。傍らには歯を抜かれるのを待つ子ども。裕福な客はふかふかの椅子に座って歯を移植されるのを待っている。

ハンターが広めた生体歯牙移植により、イギリスでは右記画像のような事態になってしまいました。ハンターは貧者は無料で、裕福な者からはふんだくるという姿勢で治療にあたっていましたが、歯の移植に関しては、貧乏人の歯を買い取り、患者(富裕者)に移植するという、今では考えられないことを行っていました。


 

ジョシュア・レイノルズによる肖像画 ※右上の隅にある奇妙に長い脚の標本は、アイルランドの巨人バーンの標本

ハンター談「生前どんな立場にあった人であれ、私が解剖したいと思えば手に入らない人物はいない」

アイルランドの巨人と呼ばれた有名人、チャールズ・バーンは、死に際に、解剖学者たちから逃れるために、遺体を船の鉛の棺に入れ、海に沈めてくれと葬儀屋に約束させました。が、ハンターは多額の報酬で葬儀屋を買収し、結局手に入れ解剖し、博物館のコレクションとしました。あまりにも騒動となっていたため、数年間は秘密にしていたということです。

参考資料

◆解剖医ジョンハンターの数奇な人生 / ウェンディ・ムーア著 矢野真千子訳 (歯学部資料No: L0000110650)

◆世にも奇妙な人体実験の歴史 / トレバー・ノートン著 赤根洋子訳 (歯学部資料No: L0000123187)

◆ハンター 人の歯の博物学 / 高山直秀訳 中原泉解説(歯学部資料No: L0000030392)


【貴重書展示】
 
Edward H. Angle
『Treatment of malocclusion of the teeth : Angle‘s system』
(2021年1月)


図書館では、エドワード H.アングルの著書2冊を展示しています。

エドワード H.アングルは、19世紀末~20世紀にかけて活躍したアメリカの歯科医です。現代の歯科矯正学の創立者であり、「アメリカの歯列矯正の父」として広く知られていました。

    Edward H. Angle (1855-1930)

1855年、アメリカ・ペンシルベニア州に生まれ、ペンシルベニア歯科医学校を卒業しました。一時期、開業医として働きますが、1886年、ミネソタ大学歯学部の開設に伴って、歯科矯正学教授になり、組織学、矯正学、歯の比較解剖学を担当しました。

1899年に発表した「アングルの不正咬合の分類」は、現在も世界的に用いられ、また、1928年に開発したエッジワイズ装置(新紐状装置)は現在のエッジワイズ装置の原形となっています。

アングルは大学を離れ、歯科矯正学専門の学校を設立し、1900~1928年までに150人を超える学生が卒業しました。

「Treatment of malocclusion of the teeth .Angle’s system」は、1887年に初版を発表し、改訂を重ねて、1907年に同著第7版を出版しました。この図書は、長くアメリカの歯科矯正学の教科書とされました。

図書館では、原著第7版を展示しています。Web上からも閲覧できます。

・HATHI TRUST Digital library : 「Treatment of malocclusion of the teeth」 

  『Treatment of malocclusion of the teeth: Angle’s system』第7版 1907年  

1930年8月11日 著書の改訂執筆中、心不全のため75歳で逝去しました。

翌年、アングルの弟子たちによって、雑誌「The Angle orthodontist」が創刊され、現在も継続発行されています。

参考文献
・中原泉「歯科医学史の顔」 学建書院 1987

・飯田順一郎 他編「歯科矯正学 第6版」 医歯薬出版 2019

・相馬邦道 他編「歯科矯正学 第5版」 医歯薬出版 2008

・亀田晃 監修「歯科矯正学事典 改訂増補版」クインテッセンス出版 2005

・Edward H.Angle with an introd. by Lawrence A.May and Alfred Gilbert 「Treatment of malocclusion of the teeth and fractures of the maxillae」 Dabor Science Pubrications,1977

・森山徳長「エドワード・ハートレイ・アングルの著作物の書誌学的・編集史的研究」日本歯科医史学会会誌13(1)p.25-26 1986

・森山徳長「エドワード・ハートレイ・アングルの著作物の書誌学的・編集史的研究」日本歯科医史学会会誌13(2)p.128-129 1986
 


貴重書展示 和装本『華氏内科摘要』

【貴重書展示】
 華氏内科摘要

(2020年2月)

図書館では、和装本『華氏内科摘要』全22巻を展示しています。
明治時代初期、アメリカ人医師 Henry  Hartshorne(ヘンリー・ハルツホールン)が著した医学書を原著に、医師であった桑田衡平らが和訳し、明治9年(1876)に出版されました。

時は明治。西洋医学を志す医学志望者たち。
当時、官学ではドイツ語採用によりドイツ医学が主流であり、英語で学べる英米医学は珍しく、またハルツホールンの著書は分かりやすいとして、次々に和訳され出版されました。
明治6年、福沢諭吉の慶應義塾の一分科として開設された医学所の教科書としても使用され、当時の医学生たち等から好評を博しました。

この機会に、どうぞご覧ください。

【貴重書展示】
和装本「医心方」

(2019年2月)

『医心方』は、現存する日本最古の医書として知られています。

平安時代の宮中医官である鍼博士・丹波康頼が982年(天元5)に、隋・唐の医書、方術書等百数十巻を底本として、約3年の歳月をかけて撰述した全30巻の医学全書です。
984年(永観2)に朝廷に献上されました。
戦国時代に、正親町天皇から典薬頭・半井瑞策に下賜されるまで康頼自筆の正本は宮中に秘蔵されてきましたが、丹波家の控本は増補・伝写されて、民間に伝わって活用されました。
安政版と呼ばれる写本の復刻版を展示しています。
当時の歯の治療についても記載がありますので、この機会にどうぞご覧ください。

 



貴重書展示 『解体新書』

(2018年2月)
 

今回の貴重書展示は『解体新書』と『重訂解体新書』です。

また、関連本としてその原著『ターヘル・アナトミア』(複製)と蘭学事始(複製)も展示しています。

↑解体新書


序圖・巻之一~四 5冊
与般亜單闕兒武思(ヨハン・アタン・キュルムス)_[原著]/杉田玄白_譯
安永3年 (1774)
中川淳庵、石川玄常、桂川甫周

江戸後期の蘭方医,杉田玄白,前野良沢等7名が譯した(独)ヨハン.アダム.クルムス(Johann Adam Kulmus)著の解剖書 「Anatomische Tabellen」のオランダ語版の翻訳書。

↑解体新書銅版全図 1冊

大槻盤水 重訂
南寧一 摸 文政4年(1821)

江戸後期の蘭方医,大槻玄沢が訳し,銅板図を江戸時代後期の銅版画家,中伊三郎が作成した書。

参考資料

国立国会図書館デジタルコレクション

↓解体新書

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2609149

↓重訂解体新書銅版全図

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541182

↓蘭学事始/菊池寛 青空文庫

http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/497_19867.html

どうぞ、この機会にご覧ください。



【貴重書展示】日本動物誌 Fauna Japonica
(2017年11月)

今回の貴重書はコレ!

シーボルトの

★Fauna Japonica★

(日本動物誌)

オオサンショウウオ  (展示資料は手に取ってご覧いただけます)

歯学部が所蔵するFauna Japonicaの1975年複製版、全5冊を展示しています。

(書誌詳細は→コチラ

シーボルト(Siebold, Philipp Franz Balthazar von, 1796-1866)のFauna Japonica日本動物誌は、1833年(天保4年)から1850年(嘉永3年)にわたる18年を経て、オランダ(アムステルダム)より刊行されました。

この著書は日本の動物の最初の欧文による記載であり、日本の動物学の基礎としての重要さばかりでなく、世界における動物学の最も重要な文献のひとつとなっています。

本書は、シーボルトが長崎に滞在した1823-1829の7年間に採集し、本国に送付した膨大な動物標本や、川原慶賀などの日本人絵師が描いた下絵をもとに、ライデン博物館の次の3人の研究者によって作成されました。

・脊椎動物―哺乳類・鳥類・爬虫類(両棲類を含む)・魚類
ライデン博物館長 テミンク(Temminck, Coenraad Jacob, 1778-1858);
同館脊椎動物管理者 シュレーゲル(Schlegel, Hermann, 1804-1884)

・無脊椎動物―甲殻類

無脊椎動物管理者 ドゥ・ハーン(De Haan, Wilhem, 1801-1855)

刊行年次は以下の通りです。

鳥類 Aves 1844-1850 12分冊
魚類 Pisces 1842-1850 16分冊
甲殻類 Crustacea 1833-1850 8分冊
哺乳類 Mammalia 1842-1844 4分冊
爬虫類(両棲類を含む)Reptilia 1834-1838 3分冊

図はもちろんですが、本の装丁も美しいです。

この機会に是非ご覧ください。


 
参考資料(閲覧可です。カウンターにお尋ねください。)
シーボルトファウナヤポニカ解説(482.83||Si2||6)
 

貴重書特別展示 2017 本草学・薬用植物の世界
(2017年10月)

今回の貴重書は

小野蘭山・小野職孝の『本草綱目啓蒙』『本草啓蒙名疏』

岩崎灌園の『本草図譜』です。

ガラスケースに入れていますが、希望する方は手に取ってご覧いただけます。

『本草図譜』は日本初の植物図鑑です。鮮やかな色彩の植物画と解説が描かれています。
構図がとても自由で、色彩豊かです。
開いて並べてみると、壮観ですねー。
『本草綱目啓蒙』と『本草啓蒙名疏』は、中国の書『本草綱目』を基に、小野蘭山が講義(口述)したものを孫の小野職孝が編纂したものです。

『啓蒙』は、動植鉱物の日本名、中国名、地方の方言を整理し、解説を書き連ねた一大百科事典です。江戸時代のもっとも内容の充実した薬物研究書であるともいわれています。

『名疏』は、啓蒙で著述された動植鉱物を簡略したもの(索引のような役割のもの)です。





 

日本の本草学の歴史は、中国の本草書から影響を受けています。

それは、三大古典として知られている『傷寒雑病論』『黄帝内経』『神農本草経』に遡ることができます。

これらの古典は、いまだに漢方で使われるているそうです。伝説上の帝王・神農が活躍したのがB.C28世紀頃と言われていますので、中国三千年の~とか五千年の~などの表現が誇張ではないことがわかります。

書棚の最下段に見える、『アーユルヴェーダ』解説本は、インドの医学”ヴェーダ”を紹介したものです。

アロマセラピーやハーブ療法などでお馴染みですが、体系化された医学書としては最古のものと言われています(B.C15世紀頃に編纂)。

現代では、医師に薬品を処方してもらい、様々な症状を科学的に和らげることが可能となっていますが、ほんの2.3世紀前までは、薬草などを中心とした呪術的な、まじない的な治療や、経験、伝承に基づく治療が主でした。

年表「薬用植物にまつわる事々・古今東西」では、東洋と西洋に分けて、歴史上の出来事をまとめています。

上段に「年表~薬用植物にまつわる事々・古今東西」

今回の展示の準備を進めている過程で、偶然にも、本学部特任教授の越川先生が「自然界にある毒と薬- 作用メカニズム解明の歴史-」というタイトルで講演を行っていたことを知り、スライド資料を展示用にいただきました。PCで視聴できます。

越川教授のスライド資料をPCで閲覧できます。毒と薬は紙一重ということがよくわかります。薬草の歴史を知ることができます。 奥に見えるのは、大型本「原色精密日本植物図譜」です。

関連図書を展示しています。気になる本があれば、ぜひ予約をしてください。展示終了後に貸し出しが可能です(一部の図書は借用図書のため、貸出できない場合があります)。

テーマごとに分けています。どの本も、非常におもしろいです。

日本大学薬学部には「薬用植物園」があります。歴史ある植物園で、その種類の多さ、数の多さに圧倒されます。撮影した植物をPCで流しています。薬草教室も開催しており、次回は11月5日です。


【プチ展示】『微生物の狩人』より       
  
微生物のいちばん初めの発見者  アントニー・レーウェンフック

(2017年4月)

アントニー・レーウェンフック 1632-1723

微生物学の父―自作の顕微鏡で微生物を発見

1623年10月24日オランダ デルフト生まれ(同時代のオランダにはフェルメール、スピノザがいます)。 16歳でアムステルダムに行き6年間織物商店の店に奉公し、その後デルフトに戻って織物店を開きました。織物商という仕事柄、繊維を調べるためにレンズを使っていました。

レーウェンフックは自分でレンズを磨き金属も自分で精製し小さな顕微鏡を作りました。単眼式で検体を支持台に載せて観察するものです。鯨の筋肉繊維、ミツバチの針、自分の皮膚の屑、髪の毛、植物、牛の眼球の水晶体、ヒツジやビーバーや角シカの毛、ハエの脳髄、ノミの針、シラミの足、樹木の断片などあらゆるものを観察しました。

そしてついに雨滴の中に動き回る小さないきものを発見しました。レーウェンフックは”animalcules”と名付けました。

レーウェンフックは王立協会(Royal  Society)へ論文ではなく手紙で顕微鏡で見たものを報告しました。この手紙はオランダ語から英訳されました。その中でいちばん有名な手紙は口内の細菌を発見したLetter39(1683年)です。下の図が細菌です。

しかし、彼は細菌を病気の原因だとは思いつかなかったのです。

レーウェンフックは非常に疑り深く他人に顕微鏡に持たせようとしませんでした。王立協会からの懇願にも関わらずまた顕微鏡の作り方も決して教えようとはしませんでした。彼の死後、微生物に関する研究は次第に下火になりました。

レーウェンフックの細菌の発見から微生物を捕まえるには、ルイ・パスツールの自然発生の否定(1861年)やロベルト・コッホが特定の病原菌が特定の病気を発症させるのをつきとめたコッホの3原則(1881年)を待たなければなりません。

http://dentlib.nihon-u.ac.jp/opac/opac_details/?lang=0&amode=11&bibid=1000072746&srvce=1

今回の展示はこの本をもとにしています。

またRoyal Soceityへのレーウェンフックの手紙は日本大学が契約しているデータベース

JSTOR-CSPで閲覧できます。↓

http://www.jstor.org/stable/102057?Search=yes&resultItemClick=true&searchText=Leewenhoeck&searchText=teeth&searchUri=%2Faction%2FdoBasicSearch%3Ffc%3Doff%26amp%3Bhp%3D25%26amp%3Bso%3Drel%26amp%3BQuery%3DLeewenhoeck%25E3%2580%2580teeth%26amp%3Bwc%3Doff%26amp%3Bprq%3DLeewenhoeck%26amp%3Bacc%3Don&seq=1#page_scan_tab_contents

どうぞレーウェンフックの展示をご覧ください。 

 
 

展示 ”国試” (歯学部アーカイブズ②)

(2016年11月)


図書館の奥底に眠る古い国試関連資料を並べてみました。
 

現在の歯科医師国家試験は1947年から始まりました。しかし検定試験そのものは、それ以前から行われています。

1875年に医術開業試験が開始され、小幡英之助が「歯科」という名称で受験したいと申し出て、歯科専門医の第1号となりました。

1883年に医術開業試験規則が定められ、医術と歯科医術の分離が行われました(身分上、制度上は医師の範疇での歯科医療)。

1906年5月に歯科医師法が制定され、歯科医師免許取得資格が規定されました(5月2日は歯科医師記念日)。この年以降は、試験以外にも指定校を卒業した者などが歯科医師免許を取得できるようになりました。

そして1947年から、現行の試験制度となり、試験合格者のみが歯科医師免許を取得できるようになりました。1985年までは年に2回施行され、以降は年1回となっています。

↑ 雑誌「歯科医報」大正9年発行の第39巻 歯科学説試験の結果についての記事です。
↑ 昭和22年第1回歯科医師国家試験の問題です。

↑ 昭和22年以降の全受験者の合格率をグラフにしました。写真では見えづらいので実物を見てください。図書館前のガラスケースです。

 
 

貴重書展示「アンドレアス・ヴェサリウス」

(2016年10月)

歯学部図書館貴重書展示「アンドレアス・ヴェサリウス」を開催しています。

展示期間:2016年 10月7日~21日(21日は13:00まで)

場 所 :図書館1F閲覧室

図書館の開館時間中、自由にご覧いただけます。

 


 

・・・・・・・・・・・・・・・・見どころ その1

なんといっても貴重書です(稀覯本ともいわれます)。ガラスケースに入れているので触れません。

ヴェサリウスの最も有名な著作「ファブリカ」の第2版(1555年刊行、展示ケース2段目)と「解剖学図譜」(1539年刊行、展示ケース3段目)は、オリジナルを所蔵しています。これが目玉です。貴重です。

「解剖学図譜」はフラップ式解剖図と呼ばれるもので、腹部のフラップをめくりあげると内蔵、組織、骨格などが見られるという仕組みになっています。めくったときの写真を隣に置いています。この「解剖学図譜」は完全な形(6Sheets)で現存するものは世界に2セットしかないそうです。「ファブリカ」の第2版のオリジナルが、どのくらい現存しているかはわかっていませんが、数が少ないのは確かです。

「ファブリカ」の複製本(海賊版ともいわれます)を5点、展示ケース最上段に展示しています。これらの書物は(いくつかは著者名がヴェサリウスとなっているにも関わらず)ヴェサリウス本人が関わったものではなく、本人は海賊版に憤慨していたそうです。

とはいえ、当時においては、著作権も確立しておらず、複製や剽窃(著作物の無断転用)はまかり通っており、「ファブリカ」という書物の革新性、重要性から、純粋に医学のため研究のために複製されて利用されていたという状況があります。複製も容易ではなく、海賊版のオリジナル(?)として希少性が高いことから、現在においても貴重書として扱われています。

上段の真ん中に見える小さい黒の2冊は、「Pocket Fabrica]というもので、「ファブリカ」初版や第2版のオリジナルよりも、希少なものだそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・見どころ その2

「ファブリカ」のオリジナルはガラスケースに展示しているため、ページをめくることができませんが、1976年に講談社から刊行された複製本を置いています。この講談社版ファブリカも貴重な書物ですので、普段は書架には置いていません。今回の展示では自由にご覧いただけます。

ウェブで公開されている「ファブリカ」もあります。

最もクオリティが高いのは「e-rara.ch」というスイスの図書館所蔵貴重書をデジタル化したサイトにある「ファブリカ」です。扉絵や挿入画がカラーで処理されており全ページを見ることができます。下画面の右にある画像です。左に見えるのは、歯学部生物学教室提供の「ファブリカ 第2版」の写真データです。

・・・・・・・・・・・・・・・・見どころ その3

当館ではレオナルド・ダ・ヴィンチの「解剖手稿 第1-3巻」を所蔵しており、実は開架図書(大型本コーナー)に常置しています。これも貴重な資料ですので、この機会に出してみました。ダ・ヴィンチはあらゆる分野で活躍をした人ですが、人体解剖も行っており、精密なスケッチを描いて、人体を分析しています。

関連する図書も並べていますので、展示終了後にぜひ貸出をしてください。展示期間中は予約ができます。
 

・・・・・・・・・・おまけ  「ファブリカ 第2版」の書き込み など について

「ファブリカ 第2版」の中に書き込みがあったので、写真を撮りました。刊行が1555年ですから、その後数百年の間に書かれたものでしょう。

見返しに、最も多くの文字がありました。

歯のページ
奥付


 


 

展示 ”古いぃ雑誌” (歯学部アーカイブズ①)

(2016年7月)


 

図書館の奥底に眠る古いぃ(古くて良い感じの)雑誌を集めてみました。

かなり年代物の雑誌を展示しています。特にこれ。大正期の雑誌です。

この雑誌は脈々と変遷を経て現在は「日本歯科評論」というメジャーな雑誌になっています。

「歯科医報」の変遷マップ ( from CiNii Books)

歯学部の前身である東洋歯科医学校の創設者、佐藤運雄先生の論文も載っていました。

東洋歯科医学校は、専門学校に昇格し「東洋歯科医学専門学校」と名前を変えます。当時(大正9年)、言いがかり的な記事を「東京学生新聞」に掲載された顛末などが書いてあります。うーんすごい時代だ。

その他にも時代を感じさせる雑誌を並べました。昔の歯科医院の様子や公衆衛生に関する喚起記事など、興味深いものがあります。

・おーらるはいじん

・東京都歯科医師会報

・新興ノ歯界

・メジカルニュース

もし、手に取って読みたい雑誌があれば、カウンターまでお声掛けください。お出しします。



 


 

図書館 特別展示「それぞれの物語」

(2014年10月)



 

【図書館 特別展示 「それぞれの物語」】

歯学部図書館では、毎年、桜歯祭に合わせて資料展を行っています。桜歯祭終了後も3週間ほど展示を継続いたします。

今年は「それぞれの物語」というタイトルで、歯科医師の個人史を中心に資料を集めました。2年後に100周年を迎える本学部の歴史についても取り上げています。
 

まずは図書館の入口↓

「歯学部の98年」を年表と写真で振り返ります。

写真は「日本大学歯学部60年史」で使われている貴重な写真です。昔の病院の様子や講義の様子を映しています。神田駿河台へ移転したのは1919年ですが、校舎の周りにはニコライ堂くらいしか建物がなく、今とは違いさびしい土地だったそうです。
 

そして、今回の展示の影の目玉↓

「東洋歯科医学専門学校設立認可申請&設立事項」

原本のコピー

東京都公文書館から複写してきたものです。

現在の神田駿河台に移転をするときに専門学校となったのですが、その際の申請書です。

(字に迫力あり)

 

図書館入ってすぐ↓

本学部の創設者 佐藤運雄先生の資料

おすすめは、「佐藤運雄先生八十賀記念写真帖」です。

平易な文章で、創立当時の様子や講義の内容、佐藤先生の余暇などを伝えています。

図書館の中に、現代の歯科医師の個人史についての資料を並べてあります。

おすすめは「日本大学歯学部同窓会誌」からのコラム「今日はお邪魔します」を抜粋したファイルです。

味わい深い個人史16編を読むことができます。インタビュー形式なので読みやすいです。

歯科医療に名を刻む先生たちの資料をプロフィールパネルとともに展示しています。

おすすめは「押鐘篤先生」です。

「優雅に突っ張って突っ張って」という本の内容がぶっ飛んでいてびっくりします。

日大専門部歯科(本学部の前身)を卒業し、長きに渡り教授生活を送り、その間に多彩な業績を残されました。

当時の様子がいきいきと記されています。

今回の展示の目玉は、”プチ個人史の宝庫「桜歯ニュース」30年分を全文検索しよう” です。

長い歴史を持つ桜歯ニュースの過去30年分をページごとに分割し、Evernoteに放り込みました。

Evernoteは大変便利なツールで、様々なファイルを管理でき、全文検索ができます。その機能を利用してみました。

サークル名や先生の名前など、検索ボックスに入力すれば、過去30年分の記事の中から検索して表示されます。

図書館に寄贈された卒業アルバムです。古いものは、1918年(大正7年)のものから図書館にあります。

その中から、いくつかを並べてあります。

「生きるとは自分の物語をつくること」という副題を付けましたが、これは、河合隼雄、小川洋子著の同名の本から取ったものです。本の内容は臨床心理学に関するものですが、歯科医師あるいは歯科衛生士、技工士を目指す学生さんの人生にとっても、まさしく似つかわしいタイトルだと思いました。

意識するしないにかかわらず、人は物語を作っていきます。ある人の人生を振り返り、文章にすると、まぎれもない「物語」になります。それは、生きていくうえで非常に頼りになるものです。この先に様々な困難が待ち受けていても「物語」の一要素だと思うことができれば、乗り越えることもできるでしょう。

「物語」が感じられなくなった時に、人は不安になります。自分の「物語」を意識して作り上げることで、より豊かな学生生活そして医療人生を送ることができるんじゃないかと思います。その一助として、今回の展示を利用していただければと思います。

 
 

資料展 開催しています

    【図書館 特別展示 「患者から見た歯科医療」】
(2013年10月)



 

歯学部図書館では、毎年、桜歯祭に合わせて資料展を行ってまいりました。昨年までは書庫に眠る貴重書の展示がメインでしたが、今年は趣向が違います。

「患者から見た歯科医療」というタイトルで、患者を取り囲む情報について+ それを踏まえて医療者はどう対応してゆくか というテーマで資料を集めてみました。

資料展のポスター


 

図書に限らず、幅広く資料を集めています。
 

まず、

1)患者を取り巻く情報環境についての資料

われわれはメディアに囲まれて生活をしています。もはや、メディアは耳であり目であり、身体の一部として生活に欠かせないものとなっています。

メディアはコミュニケーションを仲介する便利な道具ですが、よく理解して使わないと、手痛い目にあってしまいます。

現在はマスメディアからソーシャルメディアへ移行している歴史的な時期であるといえます。

2)医療情報についての資料

患者が摂取する情報は、かつてはかかりつけ医が絶対でしたが、今は違います。患者自らが情報を入手して、(病院の選択や治療法の選択等)健康を回復するための判断を下す時代となっています。それは患者にとって必要なことであると同時に危険を伴うことでもあります。

インターネットの発達により、さまざまな形態での情報入手が可能となりました。メディアリテラシーを身に付けることにより、膨大な量の情報の大海を渡ることが可能になります。

3)それを踏まえて医療者としてどうすればよいか?

メディアリテラシーは、ヘルスリテラシーと密接にかかわっています。患者にとっても医療者にとっても、正しい(より真実に近い)情報を仕入れる、あるいは見極めることが重要です。

 

と同時に、知識を得た患者を相手に、どのような応対をするのかも大事になります。

根拠となるエビデンスを基にした診療(EBM)や患者のナラティブ(語り、物語)を尊重した診療(NBM)、コミュニケーションにまつわる資料などを集めました。

今回の展示の目玉は「患者の声」です。
 

①新聞の投書欄 ②ツイート(PC展示) ③口コミサイトからのネガティブな口コミ

を集めました。歯学部学生のみなさんはいずれ関係せざるを得ない事々ですので、ぜひご覧ください。

パワーポイントでの展示では、歯科医療にかかわるサイトを仕分けしてみました。種類分けをすることで、滅茶苦茶にいっぱい存在するwebサイトを理解する手掛かりになればと思います。

展示に関して、意見や質問がありましたらぜひお知らせください。特に病院勤務の方からのコメントをお待ちしております。
 
 

常設展示 
  「災害における歯科医師による身元確認活動 」

「災害における歯科医師による身元確認活動 」

昨年10月の桜歯祭において図書館資料展で展示したものです。

歯科医を目指す学生の方にとって大切なトピックであると考え、縮小常設化して展示をしています。

身元確認の歯科医への協力要請が初めて条文化されたこと(今年4月から施行)。2014年からの歯科医師国家試験から身元確認に関する問題が出題対象になること。

二つの大きな社会的動きがありました。

身元確認への歯科医の関与の法制化においては、本学部法医学講座の小室教授が深くかかわっています。

展示の企画をした私自身が強く感じたのは、歯科医は社会的職業であるということです。新聞記事を中心にした展示ですが、ぜひ展示している本「遺体」「救命」「3.11の記録」「家族のもとへ、あなたを返す」などを読んでいただければと思います。